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株式会社モリヤ(英:''Moriya COMPANY, LIMITED'')は、かつて宮城県仙台市宮城野区に本社を置き、同市を中心にスーパーマーケットチェーン「フレッシュフードモリヤ」「スーパービッグ」等を運営していた企業である。 2010年(平成22年)7月30日付で仙台地方裁判所に民事再生法の適用を申請して保全命令を受け、翌2011年(平成23年)7月31日付で伏見屋ホールディングスの子会社仙台物産へ食品スーパー事業が譲渡され、前掲の2つの店舗ブランドは同社へ継承されている。 == 概要 == 1977年(昭和52年)8月、有限会社ヤマモとして設立。同年11月、仙台市福田町(現在の宮城野区)に食品スーパー「フレッシュフードモリヤ」の1号店を出店し、以後仙台市内で出店を進めた。 1989年(平成元年)7月、ヤマモの営業部門を分社化し、株式会社モリヤを設立。「モリヤ」に続く食品スーパーの店舗ブランドとして「スーパービッグ六丁の目店」を1994年(平成6年)5月に開店。その後も店舗展開を進めた一方、2002年(平成14年)には飲食事業の株式会社ファン、介護事業の株式会社ウェルの2社を設立して事業を多角化、2004年(平成16年)には共同仕入事業を開始。積極的なスクラップアンドビルドを推進するなど、状況に応じた店舗展開を進める手法で注目を集めた。 1999年(平成11年)6月期には年商100億円を突破するなど好調な業績を挙げた一方で、店舗出店などの資金調達は金融機関からの借入に依存しており、有利子負債は年々増加していた〔倒産情報 株式会社東京商工リサーチ〕。 2007年(平成19年)にはサトウ食品が保有していた新潟県の食品スーパー「パワーズフジミ」の全株式を、代表者個人名義で無償譲受してグループ傘下に納めると、2009年(平成21年)6月期にはピークとなる年商212億円を計上。同年12月時点で仙台圏を中心に合計19店舗を展開するなど、地元資本としては県内上位クラスの食品スーパーへと成長した。 だが新店舗の立地選択のミスが重なり次々と赤字店舗となるなど、業績悪化によって資金繰りに行き詰まり、2010年(平成22年)7月30日付で仙台地裁に民事再生法の適用を申請した。当時の負債総額は約102億円で、東北地方6県では同年度最大規模の企業倒産となった〔倒産情報 株式会社東京商工リサーチ〕。 経営再建の過程においては同年12月、東京都中央区に本社を置き、主に企業再生を手掛けていた「スピードパートナーズ」とのスポンサー契約締結が概ね合意に達し、全株主との条件付き株式譲渡契約を締結するなどしたものの、創業者一家とスピード社側の間で経営方針を巡って対立が発生し、2011年(平成23年)3月の株主総会ではスピード社が招いた全経営陣が解任される事態に至るなど対立は激化した。結局両社が仙台地裁や弁護人を交えて協議した結果、両社は同年5月2日付でスポンサー契約を解除するとともに、モリヤは仙台地裁から5月9日付で管理命令を受け、実質的代表権は管財人へ移行した。 そして同年5月23日、酒類小売店を展開する秋田県仙北市の伏見屋ホールディングスと事業譲渡に向けた基本契約が締結され、伏見屋HDが5月19日付で設立した新会社「仙台物産」がモリヤから、経営権と宮城県内の11店舗を譲受する基本計画で合意に達した〔仙台のスーパーを傘下に仙北市の伏見屋HD 47News 共同通信 〕。伏見屋の東海林誠副社長は「仙台に拠点を持ちたいと考えていた。仙台発の地元スーパーを残し、地域に貢献したい」と、取得の理由を説明した。こうした過程を経てモリヤは同年7月31日付で仙台物産へ事業を譲渡し、法人はこの際の譲渡金に加え、預金・不動産などの資産を整理して債務を弁済の上、清算後に解散した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モリヤ (スーパーマーケット)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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